『溺れるナイフ』に溺れ狂う。。
映画『溺れるナイフ』を観た。
自宅から20分ほど車を走らせ、小田舎のレイトショーで、後ろから2列目の真ん中をインターネットで予約していた。
発券時には、誰も同じ列にいなかったのに、席に着くと中心を目掛けて反対方向から迫り来る人影が、私の心をちくちくしてきた。わかる、ここいいよね。
完全に初見での鑑賞でしたが、あたしの”今”欲しいモノが、なんとも言い表せにくいようなあの感覚が、映像となって純度高く流れ込んでくる。
あたしは今どこにいるのでしょうか。永遠に終わらないでください。という思い。
ストーリーの中の人々を見ている感覚ではなくて、自分の中を見ている感覚、だけどあたしは参加者じゃないという事実も悔しくも知っている。
これを自分のものにするには、どうすればいいのかと、夏芽を追いかける自分がいる。
コウちゃんを追いかける夏芽がいて、それを追いかける自分がいる。
愛は、かたち(文字や言葉)にした時点で違うものになるはずなのに、こんなにもずぶずぶと心に入ってくる現象を、目の前で起こっていることで感じることになるなんて。
永遠に終わらなければいいのに。いや、永遠に終わらないなこれは。
そんな作品に出会える人生だったんだと、少し自分の人生を生きている気がしました。
常にポケットに入れといて、いつでも溺れられたら最高に気持ちいいなと思っています。